大学時代
ミラーはカルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学し、1984年-1985シーズンにはNITトーナメント(National Invitational Tournament)決勝に進出、1986年-1987シーズンにはPac-10でシーズン優勝した。 カリーム・アブドゥル=ジャバーに続くUCLA歴代2位の通算得点を記録し、1シーズンでの記録では最多得点、1試合あたりの最多得点、最多フリースロー成功数などのタイトルを獲得している。
NBA
1987年にNBAドラフト1順目11位でインディアナ・ペイサーズに指名された。 1994年のイースタン・カンファレンス決勝の第5戦では、アウェイのマディソン・スクエア・ガーデンで宿敵ニューヨーク・ニックス相手に第4クウォーターの12分間で25得点、1試合合計39得点を挙げ、チームを93-86の勝利に導いた。その後、2連敗し、NBAファイナル進出はならなかった。
翌1995年のイースタン・カンファレンス準決勝第1戦でも同じくマディソン・スクエア・ガーデンでニックスと対戦し、試合終了まで残り16.4秒で6点を追う状況で、ミラーはスリーポイント2本、フリースロー2本で8得点し、107-105で逆転勝利し、またしてもニックスを奈落の底に突き落とした。このときのミラーはスリーポイントを決めた後、ニックスのインバウンズパスをスティール、そして自ら3ポイントラインまでドリブルで下がり、スリーポイントを決めるという離れ業をやってのけた。その後、ペイサーズがジョン・スタークスにファウル、スタークスは2本のフリースローを外し、リバウンド争いでファウルを受けたミラーが最終的に2本のフリースローを決めたものである。4勝3敗でこのシリーズに勝利し、イースタン・カンファレンス決勝に進出するが、オーランド・マジックに敗れる。
1998年にペイサーズは3年ぶりにイースタン・カンファレンス決勝に進出する。この第4戦で、残り3秒で93-94と負けている状況で、ミラーはマイケル・ジョーダンのマークを振り切り、スリーポイントシュートを決め、逆転勝利を収める。このシリーズも最終戦までもつれるが、第7戦に敗れて3勝4敗でまたもカンファレンス決勝で敗退となる。
2000年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのイースタン・カンファレンス準決勝第1戦でミラーとチームメートのジャレン・ローズが40得点ずつ取り、108対91で勝利する。なお、1試合で同じチームの2人が40得点を獲得したのはNBAプレーオフ史上4回だけである。結局4勝2敗でこのシリーズに勝利し、カンファレンス決勝もニックス相手に4勝2敗で勝利し、ペイサーズにとってもミラーにとっても初のNBAファイナル進出となった。 NBAファイナルでミラーは1試合平均24.3得点するが、ロサンゼルス・レイカーズ相手に2勝4敗で敗退した。
2002-2003シーズン頃からはチームの若手に出場時間を譲り自身の出場時間は1試合平均で30分程度と大黒柱としての役割は減っていたが、バスケットボールへの態度等でもチームを牽引していた。2004-2005シーズン前半の2004年11月29日、デトロイト・ピストンズ戦で起こった乱闘事件によりペイサーズはロン・アーテスト、ジャーメイン・オニール、スティーブン・ジャクソン、アンソニー・ジョンソン、ミラーが出場停止となり、特にアーテストがシーズンの全試合、ジャクソンが30試合、オニールが25試合(その後15試合に軽減)と長期の出場停止処分となり、その間ミラーは先発選手としてリーダーシップを取って、1試合平均20得点近い成績を残した。また2005年3月19日のレイカーズ戦では39歳にして39得点を記録している。
2005年2月、ミラーはTNTのレポーターである姉シェリルを通じシーズン終了後の引退を表明した。同年5月、プレーオフでペイサーズが敗退したのち、ミラーは引退した。なお、最後の試合となった2005年5月19日カンファレンス準決勝第6戦のピストンズ戦では27得点だった。
2006年3月、インディアナ・ペイサーズがミラーの背番号31を永久欠番にすることを発表し、3月30日に永久欠番のセレモニーが行われた。
2007年8月 スター選手が集まったボストン・セルティックスにベンチプレーヤーとして現役復帰するという話が浮上。
国際舞台
1994年、全米代表としてドリームチームIIに参加、バスケットボール世界選手権に参加して優勝。1996年にアトランタオリンピックの全米代表チームの一員として金メダルを獲得。2002年にも全米代表としてバスケットボール世界選手権に参加するが敗れ、これはNBA選手が参加するようになってから全米代表が初めて優勝できなかった大会となった。
プレースタイル
ミラーは3ポイントシュートの名手であり、試合の重要な局面で得点をあげるクラッチ・シューターとして知られていた。味方のスクリーンを使いノーマークでボールをもらう能力に長けていた。ボールを持ってからシュートを打つまでの時間が異常に短く、相手のディフェンスがミラーに追いつかないうちに得点を決めることが出来た。またミラーは試合中に相手を挑発し続けるトラッシュ・トークをよくする選手としても知られていた。ミラーはアウェイ・ゲームで数々の奇跡的な逆転劇を演出した。ミラーの出場する試合の終了間際は彼の活躍ぶりから、ミラーのための時間という意味合いで「ミラー・タイム」と言われ、会場でそのアナウンスが流された。この言葉はミラービールのキャッチコピーのパロディから生まれた。
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