【 ケビン・ガーネット 】
ケビン・ガーネット(Kevin Maurice Garnett, 1976年5月19日、アメリカ合衆国サウスカロライナ州マーディン生まれ)は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAのボストン・セルティックスに所属。身長211cm、体重115kg。愛称は「KG」、「The Big Ticket」。背番号5。ポジションはスモールフォワードからセンターまでこなす、リーグ屈指のオールラウンドプレーヤーである。
高校時代
サウスカロライナ州マーディンで育ったガーネットは地元マーディン高校に通っていたが。3年時の夏、学生による白人と黒人の人種抗争を理由に、4年生時にファラガット高校に転校。同校で28勝2敗を記録し、平均25.2得点、17.9リバウンド、6.7アシスト、6.5ブロックの成績をあげ、USAトゥデイ紙に取り上げられ有名になる。さらに、高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカン・ゲーム選出で注目を浴びたガーネットは20年ぶりとなる高卒でのNBAドラフトにエントリーする。
NBA
ミネソタ・ティンバーウルブズ
ファラガット高校卒業後の1995年のNBAドラフトにて、全体5位でミネソタ・ティンバーウルブズから指名される。当時からずば抜けた選手であった彼は、20年ぶりに高校から直接NBA入りした選手となる。
NBA1年目、ガーネットはすぐにベンチメンバーに招集され次第にスターターとして起用される。この年、オールルーキーセカンドチームに選出された。しかし当時ウルブズは、球団創設7年目、歴史の浅いチームでありプレーオフ進出はならなかった。翌1996-97シーズン、ウルブズはドラフトトレードでステフォン・マーブリーを獲得。ガーネットの成績も飛躍的に向上し、オールスターゲームにも選出された。チームは40勝42敗でフランチャイズ史上初のプレーオフ進出を果たすもヒューストン・ロケッツにスイープされている。
1997-98シーズン、ガーネットは21歳の若さでウルブズと6年で総額1億2600万ドルという前代未聞の超大型契約を結んだ事は大きな話題となった。次第にガーネットはこの金額にも恥じない活躍を見せ、フランチャイズプレーヤーとして孤軍奮闘する。しかし、チームは2002-03シーズンまで7年連続でプレーオフに進出するものの、一回戦の壁を突破することはできなかった。同時にガーネットは勝負弱い、また彼の高額な年俸がチーム経営を圧迫しているとの批判を受けるようになった。(皮肉にもNBAの労使協定では一度結んだ契約額に関し変更を認めていないため、彼が望んでも減俸できなかったのである。またこの事がきっかけで契約に上限額が定められる事になった)
ガーネットは2000年シドニーオリンピックに全米代表の一員として出場し金メダルを獲得した。
2003-04シーズン、ウルブズはそれまでにない補強に成功しウルブズにとって最もチャンスの年となった。ガーネット自身は1試合平均13.9リバウンド(全体1位)、24.2得点(2位)、5.0アシスト、2.2ブロック、1.5スティールの成績で、初のレギュラーシーズンMVPを受賞した。ウルブズは西カンファレンス首位でプレイオフに臨み、カンファレンスファイナルへ進出したものの、ロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で敗れている。ガーネットは史上5人目となる、プレイオフに30点以上、20以上のリバウンド獲得という記録を残し、多くの批判を黙らせる活躍をした。対キングス第7戦で32点、21リバウンドを獲得。チームメイトであるサム・キャセール、ラトレル・スプリーウェル、マイケル・オロウォカンディらの活躍もチーム躍進の原動力となった。 ちなみに2003年オールスターゲームでもMVPを受賞した。
2004-05シーズン、チーム内に摩擦が生じウルブズは44勝38敗と勝ち越すものの8年ぶりにプレーオフ進出を逃す。2005年1月4日、対フェニックス・サンズ戦でガーネットはティンバーウルブズのフランチャイズ記録となる47得点を挙げたがチームは敗戦した。 以降、チーム成績は下降線を辿り、2006-07シーズンには32勝50敗まで落ち込み、3年連続でプレーオフ進出を逃している。機能していたサム・キャセールやラトレル・スプリーウェルは冷遇されチームを去り、ジョー・スミスとの裏交渉によりドラフトの指名権を5年間剥奪されるなど、チーム経営はずさんであった。 デビュー以来、一貫してウルブズに忠誠を誓ってきたガーネットも、こうしたチーム状況に不満を持つようになり、ついにはトレードを匂わす発言をし、さらにチームもトレードを決め、複数のチームがガーネット獲得に動いた。
ボストン・セルティックス
2007年7月31日、ガーネットはアル・ジェファーソンやライアン・ゴメス等5人、さらにドラフトの一巡目指名権×2のトレードでボストン・セルティックスへ、3年総額6000万ドルで契約した。1選手に対し計7選手のトレードは、NBA史上最多であった。ガーネットは12シーズン在籍したミネソタを離れ、新天地ボストンでのスタートを切った。同時期にシアトル・スーパーソニックスから移籍したレイ・アレン、セルティックス生え抜きのポール・ピアースと共に強力なビッグスリーを形成している。
2007-08シーズン、ガーネットはディフェンスの大黒柱としてチームの快進撃を支え、最優秀守備選手賞を受賞した。セルティックスは前評判どおりの強さで、東カンファレンスを圧倒的な強さで制した。プレーオフでは一転、苦戦続きだったものの順当に勝ち進み、自身初のファイナル進出。ロサンゼルス・レイカーズとの強豪対決を制した。ガーネットは移籍1年目にして、悲願だったチャンピオンリング獲得となった。
ウエイトトレーニング
ガーネットは高身長と優れた運動能力等、バスケットボール選手にとっては恵まれた素質を多く持っていたが、NBA入り直後は体格が非常に細く回りの選手との衝突による怪我を防ぐため筋力強化に力を入れた。ガーネットのNBAでの成功後、レブロン・ジェームズやアマレ・スタウダマイアー、ドワイト・ハワードなど高校からNBAにエントリーする選手が増えたが(ちなみに現在では高卒でのエントリーは不可能である)、そういった後続の選手にもガーネットの経験は生かされ、若手選手の間にウエイトトレーニングの重要性が浸透した。
プレイスタイル
毎シーズンあらゆるカテゴリーで高い数字を残すNBA屈指のオールラウンダーである。ニックネームはミスター・エブリシング(Mr.Everything)。
211cmとセンター並の長身に見合わないクイックネスと豊富な運動量を持つ。素早いステップからの極めて打点の高いフェイダウェイジャンプシュートは名だたるビッグマンであってもブロックすることは極めて困難である。サイズを活かしたポストプレーを多用し、さらに敵を引き付けてオープンとなった味方にパスを捌くのが非常に上手い選手で、アシストの多さも彼の特徴である。2002-03に至っては平均6.0アシストとポイントガード並みの数字を記録した。3ポイントを除くジャンプシュートも得意とする。
特筆すべきはディフェンス力で、現在までに7回のオールディフェンシブ1stチームに選出されている。リバウンド能力はリーグ屈指で、2003-04から4シーズン連続でリバウンド王を獲得。スティール、ブロックショットなどのスタッツでも安定した成績を残しているが、何よりチームディフェンスを統括する大黒柱であり片時も手を抜く事はない。
また非常にアンセルフィッシュな選手である一方、それは逆に彼の唯一の弱点でもある。ウルブス時代ヘッドコーチを務めていたドウェイン・ケーシー氏は「ガーネットが、もう少し積極的だったら」と嘆いており、エースになりきれない彼を批判したものであった。しかしセルティックス移籍後はスタッツは軒並み下がったものの、ガーネットがもたらした意識改革によってチームを優勝へと導いた。
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